ハルーン・ファロッキ

恵比寿映像祭にて鑑賞。
http://www.yebizo.com/#pg_screen4

『消せない火』(69)、ヴェトナム戦争でのナパーム弾による3000℃の熱から目を伏せている、実感などできない人々へ向けて、朗読をおこなっていた男は煙草による400℃の熱を自らの腕に押し付ける。僧侶による焼身自殺を思わせなくもない、観客へインパクトを与える行動。撮影されないナパーム弾の焼け跡に対し、煙草の焼け跡を映すことで、ふたつの焼け跡は並置される。またある工場では掃除機の部品を拾い集めたところ機関銃が完成してしまい、機関銃の部品を拾い集めたところ掃除機が完成してしまう。男は右手に掃除機、左手に機関銃を持ち、観客に語りかける。並置されるふたつの道具と問われる観客。
『キーワード キーイメージ ― ヴィレム・フルッサーとの対話』(86)はファロッキによるフルッサーへのインタビューを通して、ある新聞における写真と文面をめぐる解釈が交わされる。「写真が文章に浸透する」といった言い回しを果たして両者同じ意味で用いていたのか? ともかく二人のああも読める、こうも見えるというやりとりはメディア教育に向いている。両者は意見を交え深めることを避け、距離感を保つ。フルッサーによる「このやり取りを観ている人間は我々の意見も疑わなくてはならない」といった言葉を最後に、両者の意見は並置されたまま観客に委ねられる。
『比較』(09)ではいくつかの国における建築素材の製造過程が映されるのだが、冒頭のブルキナファソの煉瓦づくりから、工場でのオートメーション作業まで、あえてわかりやすい比較などされない。なにが原始的で、現代的などという比較は無い。比較またも観客に委ねられている。そのために映画自体は泥をぬるのも接着剤をつけるのも、人力で頭に煉瓦を乗せて運ぶのも、ベルトコンベアーで運ぶのもあえて変わりないものとして並置される。


【今日の都市と共同体の地殻変動においてファロッキが提示するものは、それが何を意味しないかであり、それが何を提示しないかである。】(『現代思想 総特集ハリウッド映画』収録『管理する視線』(ハルーン・ファロッキ)の解題、加藤幹郎ハルーン・ファロッキを紹介する」より)


(中山洋孝)


ダウンロード可能な作品(有料 日本語字幕つき)
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