『閉ざされた谷』ほか (ジャン・クロード・ルソー) @法政大学

http://d.hatena.ne.jp/paulowniacahors/20090427 (『閉ざされた谷』について語るジャン=クロード・ルソー 聞き手:Cyril Neyra)

法政大学にて鑑賞。ルソーの映画では幾度もけたたましく電話が鳴り、ルソー本人が受話器をとり見えない相手(フレーム外の存在)に声をかける。不意に自分を呼び寄せる記憶。逃れられない、自らにとっての重要な時間を生きていることが、彼自身の声、言葉、読み上げるテクストによって伝わる。(ジョナス・メカスにとっての亡命後の時間)
ルソーの映画ではたびたびフィルムを使い切るくらい延々同じ画面がフィックスで映し出される。8mmでの作品ならそれぞれのショットで白味の部分まで映すこともある。そこでルソー本人がときにフレームを横切り、極端に遅く動いたり、特に意味のない行動で時間を潰しているようでもある。(ウォーホル、もしくはポール・モリセイの映画のように延々無為につづく時間)
回帰してくる記憶とともに、意味も無く費やされるガレルや小津の映画のような時間かもしれない。
フレームを意識した画面と、攻撃的な音響が、ルソーの映画を厳密に構築された作品なのに、あえて繋がりを放棄した映像の断片のようにもしている。