岩佐寿弥『ねじ式映画―わたしは女優―』(69)

たまには見た映画の感想をしっかりと書いておく。思い切りネタバレ。毎日は書けない。



岩佐寿弥ねじ式映画―わたしは女優―』(69)

@第二回座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルにて鑑賞 
http://zkdf.net/


http://spiritualmovies.lomo.jp/dialogue_iwasa.html 
岩佐寿弥×井土紀州




 『日本春歌考』(67 大島渚)で印象的な吉田日出子自由劇場の面々を記録した映画だが、カメラ越しに岩佐とカメラマンから投げかけられる抽象的な質問「吉田日出子はあなたにとって生きてますか、死んでますか」に、しどろもどろに答えた俳優をもう一度撮り直すオープニングから、この映画はドキュメンタリー映画としてかなり怪しい。どうも吉田日出子が劇団から抜けてしまったらしく、おそらくきっかけとなった公演までの自由劇場の日々を追っていく。
 「女優」としての吉田日出子を印象付けるシーンのひとつは、平凡パンチの取材を受ける場面である。スピーカーを使って「嘘をつけ」とニヤニヤささやき続ける劇団員が背後に映されるも、むしろ吉田は笑ってばかりでほとんど記者に対し曖昧にうなずくのみである。吉田・自由劇場の男性陣・記者の間で複数の音声が入り乱れ、さらにこの状況で最も場を動かせているのは誰なのか、そのようなこちらの問いを拒むような、混乱を誘う。
 その後展開される一連の吉田をめぐる騒動――68年6.15デモ集会でのテレビ局と自由劇場の噛み合わないやり取り、その映像をテレビで見ながら笑う吉田、しかしデモに来なかった吉田をめぐって繰り返される映画の製作者と劇団員のカメラ越しの議論、さらに劇団における吉田と男性陣の演劇観をめぐる齟齬が露になるという、68年当時ラディカルであっただろう運動の熱を伝える作品に思えるかもしれない。
 だがこの映画はむしろそれぞれの対話が、冒頭の「撮り直し」を見てしまうことで、撮る・問う側の権力下に撮られる・答える側があることを露呈してしまっている。たとえば吉田のデモ欠席をめぐる問題が浮上する以前、カメラ越しに「あなたたちの本読みを見たが、みっともない姿だった。なぜこのようなことをしたのか?」と質問者は文句をつける。「どうみっともなかったのか具体的に教えてもらえますか?」と男性陣が問い返すと「こちらからの質問に答えられないということですか?」と露骨に権力を提示する。吉田の責任を最初に彼らにしつこく問い続けているのはカメラであることも忘れてはならない。男性陣が後に吉田の問題を検討し始めるのは、冒頭の撮り直しの要領で「言わされている」のかもしれない。また議題にあげられながら、議論の場にほとんど姿を見せない吉田日出子という女性のみが、ときにカメラから発せられる抽象的な問いかけに対し、問いそのものを疑問に付した答えをする(「それってどういうことですか?」)。カメラ側にいる男たちは吉田の関与しない場で、男性陣に権威を発揮しているとも考えられる。一方、男性陣が吉田に対し演劇論を語るも、吉田はカメラに対してと同様、その理論の前提への疑いを、非常に素朴に反応する。
 この映画は1・5・10分という非常に人工的な時間配分でそれぞれのショットを分割している。しかも各シーンのはじまりに分数が記されるため、観客はやや映画を見ている時間自体の経過を一々確認させられ、そのたびに映画に没入することを妨げられる。ただその作り手側の無慈悲な時間配分が急に公演場面で、公演そのものの「9時間」と表示されたとき、一瞬こみあげるおかしさ(まあ、上映時間的に本当に9時間流すわけがない)。ここで時間表示は自由劇場側に、つまり被写体の側にゆだねられたものになる。
 そしてこのシーンを経て劇団から吉田がいなくなり、再び冒頭の「吉田日出子は生きてますか、死んでますか」という問いが繰り返されるが、まるで彼ら男性陣が自ら前提にしている抽象的な議論そのものを疑えなかったことで、彼女は追い込まれたのだと批判しているようにも聞こえる。しかしその男性の悩み方は急速にわざとらしくなり、背景の壁が移動し、突如自由劇場の人々が集まってダンスをはじめる。なんと吉田日出子もその踊りに加わっている。もしかしたら逆にカメラのほうが、劇団員たちが演じているのか、演じていないのか判断できないのではという疑問が浮かぶ。途端に双方の権力は逆転する。「岩佐さんもこっち来て踊ろうよ!」という吉田からの呼びかけが決定的だ。カメラは引いてスタッフたちの姿をフレームに入れ、映画そのものの虚構性を前面に出す……この映画がドキュメンタリー映画だとしたらありえたかもしれない、彼らをめぐる権力関係の有無も、再び問いに付されなければならなくなる。ちなみにこの冒頭とラストを挟むシークエンスのみカラーで撮影されており、背景の舞台が移動する瞬間の色彩的な変化は、この作品で唯一劇的な驚きを与える。
(中山洋孝)


@第二回座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルにて鑑賞 http://zkdf.net/

http://spiritualmovies.lomo.jp/dialogue_iwasa.html 岩佐寿弥×井土紀州