糸の切れた凧

井川耕一郎監督、渡辺護主演『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』の試写に呼んでいただいた。
渡辺護への自宅でのインタビューが中心。初監督作『あばずれ』を完成させるまでの遍歴を語る。
結核で亡くなった兄に始まり、『あばずれ』の冒頭での父の自殺をめぐる井川耕一郎監督の指摘など、そこかしこに「死」や「血縁」について、渡辺護と井川耕一郎それぞれの特色が反映されている。
俳優経験を振り返りながら、何度も出て来る「昔の俺はかっこよかった」話、中でも「扶養」のエピソードがおかしい。だが実際、この映画の渡辺護の仕草は今でもかっこいい。特に彼にとって最初の強烈な映画体験である『雪之丞変化』と、『あばずれ』でのアクションシーンを身振り手振りで再現する姿は、自宅のこたつに座ったまま上半身だけで動かしているのに、とても様になっている。
そんな「俳優」渡辺護の最も映えるシーンは、『あばずれ』で主演女優をしごいたエピソードに続き、現時点での最後の劇映画『喪服の未亡人 ほしいの…』のメイキングにある。渡辺護マキノ雅広同様、自ら演技の模範をして俳優を動かそうとするが、渡辺護の動きは『喪服〜』での異様な仕草のひとつひとつを本当に自分のものにできていて、しかも早い。それと向き合わなくてはならない女優はどうなるのか。まるで監督と俳優どころか、ふたりの俳優が対決している劇を見せられてるような、そんな向き合い方をしている。彼は女優に「なんだこのやろう」と睨み返すような眼つきを要求するが、その「眼」はフィルムも失われた『あばずれ』のオープニングを、『雪之丞変化』と『あばずれ』に通じる「復讐」について熱く語るインタビューシーンを思い出す。
詳しくは書かないが「OK」を出しながら激高する渡辺護の姿と言葉を聞くと、自分に人を演出する事なんかとてもできない……と思う。インタビューをする井川耕一郎の声も終盤、場所を映画美学校に変え、真剣味を増すのだ。
渡辺護の俳優から睨み返される瞬間、それは『あばずれ』の自殺した父からの視線について尋ねる井川の声によって、彼の出生をめぐる冒頭部と結びついていく。