居原田眞美の『越路』(09)、『青二才』(10)

居原田眞美の『越路』(09)、『青二才』(10)は自らの息子を撮影した短編である。映画美学校二期生である彼女は、同期の松村浩行監督『TOCHKA』(06)などの撮影を担当し、自身も『泥棒猫』(00)を監督している。『越路』は出産の場面からはじまり、成長していく息子を撮影したビデオと、その映像を見て泣いている一歳になった息子の横顔の切り返しで構成されている。『青二才』は息子を主人公にした紙芝居(母の乳房を探す冒険譚)と、またも彼の反応が切り返される。どちらも一歳になる息子の顔をフィックスで撮った画が繊細で心癒されるが、居原田の狙いはそう単純な喜びには収まらない。上映されるホームビデオ、もしくは紙芝居をそのままではなく、たえず息子の泣き声を通して、我々は見なくてはいけないため、スクリーンから受け取る画・音は彼の存在によって一気に複雑になる。安易な情報にだけはしようとしない、作り手の性格が強く出ている。
『越路』のホームビデオがこの映画を計画する以前に、多くの家庭と同様、大事な記念として撮られた映像なのは明らかだ。しかし『青二才』の紙芝居がどの程度作りこまれているかは、息子を含めた様々な写真のコラージュと多様な色彩と、ときに折り畳み式の仕掛けからできている一枚一枚の画の完成度の高さ、何より物語の奔放さから感じとれる。また読みあげるのは、母ではない別の女性である(自身『月夜のバニー』(09)を監督している矢部真弓)。画と物語と声(俳優)、もしかしたらこれだけで別の映画を撮れるかもしれない最低限の労力は費やされているが、紙芝居として子どもの前で上演されるにとどまる。いま自分が作り手としていかにプライベートから切り離せない環境にいるか(『越路』も『青二才』もプライベートフィルムだ)、作り手が育児に支障をきたさない範囲で映画を撮っていることを作品自体に反映させつつ、その冷静な自覚が本作に余裕と遊び心を与え、誰もが楽しめるユーモラスな作品となっている。やや飛躍した言い方をすれば、本作から母としても作り手としても自分が同時に在ることができるという幸福感と、制約から恐ろしく小さな規模であっても映画はつくれるという、映画の持っているかもしれない自由さを感じとることもできる。この映画はひっそりと上映され、偶然眼にした観客の楽しみにしておいていい作品かもしれないが、その視点を再び息子以外にも向けられる日が来ないか、待ち遠しくもある。


越路  2009年/DV/10分  
監督:居原田眞美/出演:日野倫太郎

青二才 2010年/DV/10分
監督:居原田眞美/スタッフ:遠山智子 黄永昌 矢部真弓/出演:日野倫太郎