赤坂太輔さんのツイート

赤坂太輔さんの2月4日のツイートを引用します。
TRASH-UPでの原稿にて外してしまった箇所と少し関係あると思いましたので……。

季刊 TRASH-UP!! vol.11

季刊 TRASH-UP!! vol.11

↑「赤坂太輔が語る『果てなき路』と映画の2011年」掲載。

@daiakasaka

1980年6月月刊イメージフォーラム創刊準備号の長谷川和彦川喜多和子対談で『旅芸人の記録』のカメラに語る手法を「あれはブレヒトだよね」という箇所がある。当時ヨーロッパや日本では廃れた技法だったが実は軍事政権前後の映像だったことを考慮する必要があったはずなのだ。
「廃れた」と書いたカメラに語る手法を使ってたのはオリヴェイラでやはりギリシャ同様に独裁制下の映像からの離脱を意図していた・・・アンゲロプロスと違ってカトリック的だし日本上映は十年以上後になるが
ポルトガルや崩壊直後のソ連の映画が孕んでいたのは独裁政権の操作した映像からの離脱なのだが問題は我々が「操作された」フツーの映像を見られなかったこと。日本やフランスの批評は自国の操作されっぷりに安住しているので笑ってしまう
ソ連パラジャーノフ強制収容所に送られたりブラジル軍事政権下でコフィン・ジョーが逮捕拷問されたとき前者は芸術的に後者はトラッシュムービー的に「自分の映画はナンセンスだ」と主張したが政府のほうは「お前らの映画は反政府的な意味があるんだろ」と信じず。結局「意味は権力が作る」ってこと
ここから映像を禁止しようとする人々の言葉はすべて権力の側にあることがわかる。しかし芸術であれトラッシュであれナンセンスを主張するためにはより高度な映像の教育が普及していなければ通用しないってこともある。
ある映像を「なんだかわからない」というと権力が「わかんないのか?それはこういう意味だ!」と説明したり禁止したりしてしまうから
もちろん「難解」「よくわからない映画」というのも権力側の言葉で、実はその映像を他人に見せないために使われてきた歴史があるw